化物みたいだ、と個人的に思っていた女がいて、でも実は自分がその女と似ている部分がわりとあるらしいことに気づいて、本当に勘弁してくれと髪を掻き毟りたくなった。嫌すぎんだろ。
逆にわたしが好きな人間と似通っている部分についても思いを巡らせてみたけど、なんだろう、少し早口なところぐらいしか思い浮かばなかった。
でも好きな女に、面白くて好きだ、と言われていたらしいことを人づてに聞けたので、それはもう、勝ちでしょ。わかんないけど。事実無根かもしれないけど。
どーーーーでもいい人間はまじでどーでもいいわりに、自分がウワ好きだ魅力的だ対等に話させてくれ!!! とつよく思ってしまう相手には自分がどう思われてるかがすごく気になってしまって、それはそんなに頻繁に起こり得ることじゃない分、余計に強烈な感覚として残る。
会いたい人とか話してみたい人とか、山ほどではなくてもそれなりにいるし、もしその機会があれば是が非でも乗っかりたいところだけど、相手がわたしにわたしと同じぐらい興味を持って話したい知りたいと思ってくれていなければ、なんの意味もないと思う。
べつにファンとして会いたいんじゃないのだ、ファンとしてもぶっちゃけ会いたいけど、それじゃ意味がない。
でもだとしたらそれってよっぽど難しいね、と言われて、確かにそうだな、と思った。対等じゃなくても、一瞬でも触れられたらそれでいいという考えも確かにあったのに、いつの間にこんな傲慢になったんだろう。嫌な女だ。
対等、というのは言い換えれば互いに利害が一致してる、共益がある、尊敬しているということで、いや尊敬してなくても対等ではいられるか、まあとりあえず目線が合ってる、ということだと思っているので、
だから、なんか、わたしが一方的に話したい好きだたくさん話してみたい、と思っても無駄なんだよな。他人に認められたり必要とされたりしてしまうと、もうそれだけで満足できなくなるらしい。
べつにプライベートというか普段、食指が動く相手にはそれで全然いいんだけど、尊敬してる人にただ一方的に会ってもらったり話してもらったりするのは違うんだよ~。
本当はいつだって会ってみたくて話してみたくてたまらない相手から、実は興味がある話してみたい会ってみたい、と言われたい、めちゃムズなのはわかってるんだけど。
恋愛なんかよりよっぽど難しい。恋愛も十分難しいのは重々承知だけど、代替が効いたり訓練やテクニックでどうにかなることが多いのに比べて、もう今さらどうしようもない感性とか、有り体な言葉で言えば才能とやらに分類されるものよりも、よっぽど難しい。
ありよりのなしだな、とかそんな可動性のあるメーターみたいなものじゃなく、おそらくは刺さるか否か、みたいな2択なので。
やっぱり自分の尊敬してる分野の人たちに認められたい、面白いとか言われたい、そこらのぽっと出のどうでもいい人間じゃなくて、わたしの尊敬している好きだと感じる人たちに。