特集系の雑誌をたまに買うのが好きで、湯船でぺらぺらめくっていたら(というか雑誌をデジタルで読むのって不可能では??雑誌の良さが根こそぎ死んでしまう感じがある)、

冒険家が本屋を始めることに驚く人は多いが、実は原動力は同じ、みたいなフレーズがあって、てことは本屋が冒険家になることもあるし、本好きが冒険好きになることもあるってことか、とひとりごちた。

本を読むっていう行為自体がそもそもそうか。世界の拡張、他人の脳味噌を公的に覗ける手段。

 

 

最近周りの人たちがブログを始めていたりしてうれしい。もう周りの人、と括れるほど今は近しくはないけれど、それでも文章を通じてああ今はこういうこと考えてんだなーとわかるのはうれしい。

他人の脳味噌の中身を覗ける機会なんて日常においてそんなにないし、日頃からそういうことをアウトプットしてくれる人間ならわかりやすいけれど、この世には自分の脳内を頑なに見せない人間もいて、まあべつにそれはそれで全然いいんだけれど、

自分を頑なに不可侵にしてる人って、なんかもはや見せないんじゃなくて見せれるようなものがなんも入ってないのか?と思う。

それかよっぽど他人と関わりたくないのか。

脳味噌を見せてくれる人が好き、脳味噌に惚れてくれる人も好き。

 

 

新しい爪が完全に自然光の下でサイコーのかわいさを発揮する爪で、というかそうなるようなデザインにしたのだけれど、

春まじで好きじゃなくて桜も苦手で、それでも春の浮かれ具合に感染させられている。

たくさん出かけようという気持ちも込めて。

 

 

初対面で爪もう変えないとですね、と言ってきたあのヘルプ。こいつぜってーーーー売れねーだろ、なんで受かったんだ、と失礼なことを思ったが、まだいるんだろうか。内勤に転向させるつもりなんだろうか。

女の子たちをあしらえる人間がホストに向いているんだろうけど、そして男女問わずそういう扱いが上手い人間を知っているけど、その人はコミュニケーションが上手いのではなく、楽してるだけだよ、と言われて、

あーーーーーーとなったのを覚えている。

楽。楽なもんはいいよね、あたしは楽するぐらいならそんなどうでもいい他人なんかと関わりたくないけど。

大切な人間だけでいいけど。

という考えもいざというとき困るし極端すぎるなということに最近気がついて、なんかもう少しポップに精神的支柱をぽこぽこ立てていったほうがいいんだろうな。

厳選しすぎ、精鋭化しすぎ。

 

 

一生一緒にいられるわけないんだから、契約のない他人なんてなおさら、と思うけど、でもなんだか女に対する信頼というのはやはりあって、ゆるやかな連帯感というか、なんなんだろうねこれ。男の人もそういうのあんのかな。

各々それなりにやって、最後は集合しようねー、みたいな、シャボンディ諸島みたいな。諸島だっけ。

 

 

ネイルサロンで前のお客さんが見ていたというバチェラーが流れていて、懐かしいですねーととろとろ話した。

海外に数年間いたネイリストさんは、でもわたし黄皓さんみたいな人タイプなんですよね、司会の人とかも、と言っていて、初めて会ったときから感じていた、わー!!!周りにいないタイプ!!をより具現化してくれた。

筋肉好きなんですか?髭とかも?には似合ってたらあり、とのことで、男らしい人が好きみたいなところに集約されるのかなそれは、リードされたい、守られたい、というような。

税金や年金から守ってくれよ。

 

 

導入がなんなのかは知らないし人によるんだろうけど、わたしは女が好きな男のそばにいたがる理由は、好きな男の情けないところが見たいからだと思っていた。

恋人とかにならない限り見ることのできない、単なる他人のままだったら一生知ることのできない情けない弱りきったところも見たい、かっこいいところだけではなくて、かっこ悪いところこそわたしだけに見せてほしい、という欲だと思っていた。

かっこいいとこなんてべつにいいのだ、仕事のできる上司とかなんかアイドルとかで満たせるから。

もちろんスマートでかっこよかったらありがてー助かるーとは思うけど、情けないところを見て、なんて人間らしいんだろうなんて無防備なんだろうと胸をときめかせたいからみんなつきあうんだと思っていた。

情けないところを頑なに見せてくれない恋人なんて恋人である必要がないとすら思う。

 

 

かっこよさよりかわいさを見せてほしい、情けないところを見せてほしい、強がるのとかべつに求めてないから泣きつくんなら一番にわたしのところに来てほしい、

という思いが女たちには多かれ少なかれあると思っていた。

エースたちだってそうでしょ?担当が弱りきって、こんな閑散期にタワーとか無理頼めるのお前だけ、いつも支えてくれてありがとう、って1秒500円なんかじゃ済まない言葉をぼろぼろ溢されてきゅんきゅんするんでしょ?

好きな男の情けないところを唯一開示される他人であることに喜びを感じてるんでしょ??

じゃなかったらサターンリターンのアオイみたいなことになってしまう。同時に8人にプロポーズしたりしてしまう。

ゴキブリだって余裕でわたしが殺すし、お化け屋敷は正直だいぶきついけど、頑張って先頭に立つし、だから存分に泣いたりしょげたり甘えてほしい好きな男には。

 

 

ということをここまで書いて、これは結局、眼鏡の美少女委員長の良さを知ってるのは俺だけデュフ、に快感を覚えるオタクと変わらないのでは。キュートアグレッションとかも含め。

なんならわたしが昔げんなりしていたかわいそうな女が好きな男に近いのでは、と思ったが、かわいそうな男なんてどうでもいいな、あくまでも前提好きな男である必要があるし、わたしはかわいそうな男なんて好きじゃない。たぶん。

ていうかかわいそうな男ってなに??最近流行りの20〜40代引きこもり童貞自身の自殺に他者を巻き込む幸せそうな女が許せないタイプの男??学生時代イケイケの男たちに自尊心を傷つけられて、そんなくだらない男に惚れる女たちはなんて見る目がないんだと男側ではなく女側に逆恨みしてくる男??

 

 

わかんねー。

しかしなんだか男のいうかわいい、と、女のいうかわいい、は大きな隔たりがあるように思う。

男が好きな女に言うかわいいは基本的にそれ以上でもそれ以下でもなく、女が好きな男に使うかわいいは、彼らが思っているよりもいろんな感情が渦巻いている。気がする、のですがどうでしょうか。

それを母性の一言で済ませられるならそういうことにしとこう。絶対母性じゃないと思うけど。