かわいい人間というのはいい。

かわいい人間というのは、当たり前に喜怒哀楽を見せてくれて無防備にへにゃへにゃ笑う人間、他人への信頼度が長年の積み重ねにより自然と高い人間、思ってることを全部口にする人間。自分発信の好意やどうでもいい話が必ず他者に受けいれられると思っている人間。

他人を疑うことなく真っ直ぐに開示してくる人間。

 

 

こんなに無防備に自分を曝け出してきて、この子傷ついたことがないんだろうか。目を見開いてしまいそうになる。

話し合っても無駄、なんてことを1ミリたりとて思わない思考回路なのは、他者に軽んじられず向き合って話を聞いてもらえる経験を物心つく前から幾度なく繰り返してきたからで、

なんかもうその裏付けが取れてしまった今となっては結局人の人生の難易度は親によって本当に大きく左右されすぎてしまう、不平等すぎる。

 

 

結局のところ、足りてないもの同士がどうにかしようなんて無理があるのだ。今さらだがどうしようもないほどにわかる。

足りないもの同士が集まっても、コウちゃんの言うとおり吹き溜まりのようになってしまうだけで、もしくはものすごく長い時間をかけて足りない部分をかき集めていった終着点として一緒にいられるようになるかもってだけで、

性愛の絡んでくる人間関係なんてノブレスオブリージュが大前提にある。

自分のことでいっぱいいっぱいの人間が他者を変えられると救えると思うこと自体がはちゃめちゃにおかしいのだ。支え合うという行為の難易度すら桁違いなのに。