どう考えても鬱にはならない側の人間

 

 

年明け早々、一週間と少しぶりの退屈なバイトが嫌すぎて行きの電車の中でえづいてしまって、込み上げる吐き気にさすがにこれはやばいなと思い、一ヶ月ほどやめていた煙草を買ってしまった。アイスブラストの5ミリ。

喉の冷えピタみたいで好きだ、と言うと、わかんねーと言う人と、わからんでもない、と言う人の2択になる。めっちゃわかるわそれと言ってくれる人には出会えたことがない。

 

前のアルバイト先のパチンコ屋では何故だかこの銘柄を吸っている人ばかりで、わたしの数少ない尊敬する人のひとりのチーフも、9ミリを吸っていて、9ミリだっけ、だからわたしも吸い出したクチなのだけれど、

その5ミリを吸いながらSALUの夜に失くすを聴くと無敵になれてとてもいい。

チーフはわたしが辞めてしばらくして社員が数人が異動してから、鬱になったと聞いた。悲しくて、勝手に心配になっている。どうか幸せであってほしいと思う。W杯を今年も楽しく観てほしいなと思う。W杯って毎年あるわけじゃないような気もするけど。 

 

サッカーをテレビで観る面白さがわからなくて、だけどちゃんと観たこともないくせに面白くないと言うのも失礼だし、

だから一度ぐらい生で見れば面白さがわかるのかもしれないと思って観に行ったけど、野球の方が好みだった。一緒に行った人間にもよるのかもしれない。

 

2018年は相変わらずそれなりに笑えることもくそみたいなことも、衝動! 病み! 死! 迷走! 過労! 凪!みたいなこともあって、というか大学に入ってからの年表は毎年それなりにいろいろあるな。

年末に振り返ってみて初めて、面白かったなと他人事のように思えるんだけれど、今年もそうでした。今年というか、2018年も人間味溢れる一年でした。

 

歴史の教科書の一番初めにある年表みたいな感じで、一定の間隔でどうしても応仁の乱的なものは起こって、もしくは自ら望んで起こして、そのたびに周りを巻き込んできた。

というか、なにかしら思うことがあって行動すれば誰しも他人を巻き込んでしまうのは当たり前のことなんだろうけど。

申し訳ないことだけど、他人と関わらずに生きていないわけだから、仕方のないことでもある。と思わないとやってられないよね~無理だよね~。

 

驚くことにもう22で、純真無垢だった17歳の頃からは余裕で5年という期間があって、いやーほんとそのことを認識するたびに遠くに来たなーという感覚になるね。

一年間でも人は面白いほどに変わったりするのだから、それはもう莫大な月日ですよ10代から20代への数年なんて。でもまだまだ手練手管にはほど遠い。

 

成人したらなにかが変わったかのようにあっさりと綺麗に大人になれると思っていたわけではないけど、

それでも、今よりかはいろんなことがうまくできるようになっていて、把握できる事柄が増えて、諦めもつくし傷ついたりすることもうんと減るのだと思っていたけど、どうやら違うらしい。

この歳になってもめちゃくちゃ悲しくなったりブチ切れたり嬉しさで我を見失ったりするのウケる。餓鬼かよ。

 

でも中高大とあがるにつれてどんどん生きやすくなっていってるから人生捨てたもんじゃないなと思う。

自分の選んだところで労働して、そのお金で最高の映画を思い立ったときに観に行って、好きになれない人とは別に無理して関わらずともよく、好きな人たちとはげらげら笑いながら夜中に酒を飲んで、帰り道にあーーーってなれば煙草を吸って、Amazonで衝動のままに漫画全巻を大人買いしたりする。

成人してよかったーーーと思わずにはいられないでしょこんなの。最高。

 

が、こないだ先輩に、今が一番だよ、社会人になったら違う、と言われて、絶望しました。

せっかく何年間もせこせこせこせこ積み重ねて生きやすくしてきたのに、社会に出たらまた振り出しかよまじかよ。つらいね。

自分がみんながちゃんと大人なところに就職すればそれなりに生きづらくなるのは目に見えてる。

わたしのなかの大人は、うまいこと他人にも自分にも諦めることができて自分の欲望に蓋ができて他人に疑問を抱いてもそれを追及せずにいられる生物のこと。

 

わたしはチーフのことが人としても異性としてもかなり好きで、こういう大人がちゃんとした大人って生き物なんだと尊敬していて、尊敬してたから好きだったんだけど、

それ以上に他人に一定の距離から踏み荒らさせない人間だとも思った。かつ、自分の欲望を押し殺して多勢に尽くせる人。偉いし可哀想。そりゃ鬱にもなるって。

地獄を経験してきてその頃のことを覚えていてちゃんとそれを糧にできている人間のことはもうそれだけで信頼に値すると思っているので、ほんと幸せに生きていってほしいと、日々勝手に祈っている、微々たる力で。

 

えーでも、もうさすがに成人して2年も経てば大人になんてなりたくないー! とかそんなことは言わないけど、というか法的な大人って自由でとても楽しいし、

だけど上っ面の関係で関わる人間がぐっと増すんだなと思うと、ワーーーー絶望!!! 悲しい!!!!!

大人になってから友達ってつくれんの? つくるって表現もおかしいけど。できる、の方が近いか。

 

そういう意味では大学行ってサークル入って、多様な価値観を露呈しちゃう若者たちが集まるもとで、数少ない気の合う人たちを見つけられてよかったなと本当に本当に心底思うのだけれど、

ここから先、学生時代の不甲斐ない自分を知った状態の友人はできないんだ…… ってことを考えると愕然とする。

それはようは甘えなんだけれど、でもさあーー、やっぱ自分のこと長いスパンで見てもらえてるのって嬉しいよ、安心感あるよ。自分も相手の変化を長いスパンで見てられるのってなんか好きだし。

 

とはいえ2018年はおそらく変に依存とかもせず、たぶん適切な距離感で過ごせたと思うので、とてもよかったな。その点に関しては最高。

混線したり途絶えたりするたびに距離を把握して、適切な距離感を見出せてきてるの、えらい。人間関係に関しては諦め悪くてよかったと思えることも多々ある。もういい加減諦めなよってときもあるけど。

 

 

薄暗いニュースが日々あって、SNSでも地獄みたいな経験談が飛び交ってて不安と恐怖ともどかしさでゲェとなるけど、

なんていうか、バッドに入って沈むことはそこそこの頻度であっても、三大欲求からなにからなにまで自分の欲望に素直でありたい人間なので、社畜になって電車に飛び込んだりする日は来ないんだろうなと思う。クソカスみたいな人間だけど、その点においてはよかったね、ってなる。

 

生き地獄やんけ、みたいなのはそれなりにあるけど、どうせいい映画も小説もたくさんあるんだし、2019年も楽しくありたいね。