馬鹿なんじゃないの?

 

 

わたしはわたしに会いたい、話したい、わたしだから会いたい、と思ってくれる人間が好きで、だからわたしもそう思う人間としか会わない。

たまにどうでもいい人たちとのもちゃもちゃした飲み会やなにも得られない夜もいいなと思うけれど、でもやっぱりあなただから会いたいと思っていつも他人と会っている。わざわざ時間と金を使って、疲れにいっている。

でもその疲れは価値あるものの対価として支払われるものなので、いい。

 

 

問題はタスクとしてわたしに会う人間だ。

一番不愉快だろそんなの。誠実さなのかやさしさのつもりなのか知らないけれど、一番失礼な行為だと思う。

だってわたしは会いたくて会っているのに、そして相手もそうだと思ってたのに、そうじゃなかったらあまりにもアンフェアすぎるだろ。

 

 

ムカつきすぎて悲しすぎて、もういいやじゃあ、という気持ちになった。

わたしのこの極端な0か100か、みたいな思考は本当に悪癖だなと思うけれど、でもこれはもういいやじゃあ案件だろ。

どこから義務化させてしまっていたのか、いつから帰りたい疲れているだけど一緒にいてあげなきゃと思われていたのか。

カスみてーな気分。

 

 

自分を適切に大切にしない人間に大切にされてもなにも嬉しくない、自分をすり減らしながらわたしの欲望を満たされてもなんの意味もない。

それがやさしさだとおもってるならちゃんちゃらおかしい、それをやさしさだとも勘違いできず「すべきこと」として認識しているならなおのことだ。義務教育からやり直してくれ。

 

 

歳下だから、わたしと2年も生きてきた長さが違うから、と思うけど、でも好きな人間が自分を犠牲にしてわたしとの時間を余分につくっていたのかと思うと苦い顔にもなるだろそれは。

今さらチョコの感想なんかもらってもうれしくねーーーよ、うまくて当たり前だろそれいくらすると思ってんだよラ・メゾン・デュ・ショコラだぞ知らねーだろーけど。

 

 

あとから気づくタチだから、じゃねーーーーーんだよ、自分のことぐらい自分で気づけ、おれはおまえの母親じゃねー。

とはいえ、彼がわたしに対してもやもやしてもいわないこともあるんだろう。それをわたしはいってほしいのだけれど。

 

 

我慢するのが美徳な文化圏のひとってなんなの?あんたは自分を誰よりもまず大切にすべきだよ、底なしにやさしくなれる体力も気力もないなら、わたしを「いつもにこにこして笑顔の満足している恋人」として仕上げる前にやることあるだろ。

「彼氏」の前にひとりの人間として大事にすべきだろ。

 

 

いっつも俺のこと考えてるんだなって思った、じゃねーよおまえがおまえのこと考えてないからそう感じるだけだよ、そういうふうに思わせるなよ、あたしだって他人のことなんかhyunjin以外別に考えたくねーよ。

 

 

もういい、今は待てと姉に諭されたので、待つ。

お互いを諦めないことが大事だよ、と姉の恋人はいってたけど、諦めたくもなるだろこんなん。馬鹿みたい~!!!

馬鹿みたいなのは大学で十分たのしみ尽くしたからもういいのに!!!

 

 

でもhyunjinと同じピアス開けるのはとっても馬鹿みたいでかわいくて、いい。

こういう馬鹿さならいくらでも歓迎するわたしは。

それ以外の馬鹿さは自分を消耗させるだけなのでお断り。

でも淡々と話したら話したで「責められてる」気分にさせちゃうらしいから、淡々と話すことすら許されないのウケちゃうね、だって責めてるからね現に。

 

 

おまえの好みの話し方で話してもらいたいならAIでも使え。わたしは怒ってるし傷ついてるので、あなたのためにそれを矮小化させて見せることはしない。

わたしの感情をなかったことにするのは、誰のためであっても不適切なので。わたしのためであってもな。覚えとけ。まじで。

 

 

 

 

先輩が11ヶ月毎日日記を書いている、と知り、まじですごい、となった。

それにより自分を客観的に見れるようになった、といっていて、わたしはそれに似たようなことをTwitterで毎日やってるから、わかる~となった。

でもやっぱり短文でつらつら書き連ねるものと、長文でだらだら書き連ねるものは違うよな。

わたしはわたしの周りの人間たちの長い文章をもっと見たい。読みたい。

べつに全然仲のよくない人間のも読みたいし、なんならそっちのほうが気になるかもしれない。あんな顔してあんたそんなこと考えてたのね…!!!?と感動できそうだから。

みんな~ブログやってくれ~。たのむぜ。

 

 

新卒で入った会社を休職することにした。

使える制度は存分に使わせてくれる会社の福利厚生に感謝。

たぶん戻らないと思うけど、会社の面白いなと考えていた人間に会えなくなるのは少しさみしい。

ちょっと頑張って出勤するだけで恋人の顔が見れていた環境というのも、最高だったと思う。

やっぱり単純接触回数というものの効果はでかく、短時間でも毎日顔を合わせて話して、くだらない話ができるというのはいい。

社員人数が多いのも、だからそれぞれがどう仕事をしているかを監視されないのもいい。

次の職場はもうほぼ決めているけど、人数が少ないからこれまでみたいにぷら~っと仮眠室に行ったりコンビニに行ったり、煙草を20分くらい吸いにいったりすることも難しいだろう。

埋没できる状態って、いいな。

 

 

事前に準備はしていたけど、やっぱ無理、と思い休むことを決めてから2日ぐらいで休めることになり、先輩とか同期とか後輩に意外と心配されたり悲しまれた。

兄のように慕っていた先輩に、ごはん、サシでいこうといわれて、ぐう、となっている。

ありがたい。けど、心配されるのは申し訳ないかはあんまり行きたくないというのが正直なところ。

プライベートでも会い続ける人間なんて、どれだけいるだろうか。

サークルでも1対1で会い続けたい人間というのは確実にいて、でもみんな結婚したり遠くに住んでいたり、気軽に会いにいけない距離でさみしい。

一年に一回でも会えたらいいのにな~と思う人、意外といる。

年末、いろんな人たちに会いたくなるよね。たまにほんわり思い出す人とか。

 

 

恋人と毎週末会うのも癒されるしかわいいしたのしいけど、好きな女や男とげらげらくだらない話をする心地よさというのはまた別に明確にある。

恋人はわたしのことをすぐかわいがるけど、かわいがるって楽してることとも同義だと思う。

かわいがられるのはうれしいし、わたしもかわいがってふし、そこはまあお互い様だけど、わたしは子宮移植や代理母出産についてもガツガツ意見を聞きたいし、なんでそう思ったのかも知りたい。まあテーマがテーマだから怖気づくのかもしれないけど。

 

 

 

こないだ上記のことについてどう思うか聞いてみたら、俺はいいと思う、といっていて、そこを深掘りしていったら結局彼から出てきたのは「子どもがいるほうが幸せそう」という社会通念に浸りきった考えで、

べつにそれが悪いことじゃないけど、おまえは本当にそれがしたいのか???

話していったら、彼は自分の考えで行動してうまくいったという経験が少ないから、それだったら王道ルートに乗っかっていったほうがいい、という考えらしいことがわかった。

どうやったらそこの思考回路を変えられるのかと傲慢なことを思ったけれど、彼にとってそれが心地よいのならわたしがどうこういうことではないよな~と思いつつ。

 

 

欲の弱い人間は、本当にそれが本人の望んでることなのか見えにくくて、困る。わたしの欲を押しつけているだけなのじゃないか。わたしの欲の強さに呑まれているだけなのではないか、と心配になる。

だから欲のつよい人間は好き、自分の能力を把握して使いこなしている人も。

 

 

昔から「自分をわかっている人間」がどうしたって魅力的に見えてしまう。

自分の輪郭をわかっている人というか。

自然に傲慢な人間、自分の欲望をどうすれば満たせるかをわかっている人間、自分の魅力がどこまで通用するのか試しているような人間。

鼻持ちならないようなやつも多いけど、自信に溢れている人間というのは、自分でそれらを構築してきた人間というのは、やはりいい。

他人のせいにすることがないから信用できるのかもしれない。

 

 

 

本棚買いたいな~。

部屋の片付けとか整理ってなんでこうも面倒なんだろう。

だけど本棚があったらもっと最高になることが見えきっているので困る。

自分の欲しいものやあったらもっと最高になるものがわかりまくるのも困りもんだな。

 

 

 

 

 

フェアな関係、というタイトルがわたしの求めているものと近い、と思って読み始めた友情結婚をした夫婦の小説は、まさかの短編集で、なんだよ短編集かよと思ったけれど、

渡辺ペコの1122みがあるな~と思いながら中編まで読んだ。

フェアな関係とは。

 

 

ふと、今の恋人とセックスできなくなったら別れるんだろうか、ということを思う。

かつてのやべー男とつきあってたとき、もしくはつきあっていなくてもつかず離れず本当にヘドロみたいな腐れ縁そのものだったとき、離れなきゃと思うのと同じ強さで、でもこの人ともうセックスできなくなるのかーという気持ちがあった。

それはもったいない、という気持ちが。

 

 

高校生というのもあったし、抱きたい男なんてそんなに簡単には現れないし、そう考えたらこの男は貴重なのでは、と思い、肉体だけでも欲しいなーとだらだら連絡をとったり、3年ぶりに突然連絡をしたりされたり、ということをしていた。

あとあまりにも彼が露悪的で、自分を見ているような嫌悪感もありつつ、でもその正直さが信用できる、と思っていた。

わたしといるメリットがはっきりしている人間は信用できる、すべての事柄において欲望がつよい人間も。

なんでわたしといることを選んでいるのか目に見えてわかる人間が好きだ。今も。

 

 

その男が一時的にEDになったとき、セックスができないなんて、とかなり落胆したことを覚えている。

セックスできないなら会わなくてもいいかな、セックスのできないこの男に価値なんてあるのかと、本当に失礼なことを思った。

だけどまあ、その男も同じようなことを思っていただろうし、なんというか同じ穴の狢という感覚がつよいので、そう思ってしまったことに対しては罪悪感もない。

 

 

結局その男にちゃんと好かれることへのしんどさがすごくて、あんなに好きだったはずの手を繋ぐことさえも苦痛で、早々に別れたけども。

相性が悪いのも考えものだけれど、相性がよすぎるとかも考えものなんだろうな~。好きと肉欲って分けにくいよな。

僕は勉強ができない、の主人公の幼馴染の女のいっていた言葉、好きだったな。

 

 

もうひとりの恋人は、セックスができなくなっても別れたくなかったと思う。

それより、セックスぐらいしかできないことのほうが悲しくて、それ以外でこの人は女とは接せられないのかな、結局恋人というポジションにいても、なにも教えてくれないなら話してくれないなら、その他の女たちとなにも変わらないな、と悲しくなって、せっかくできた復縁も秒で終わらせてしまった。

セックスなんかよりも、話し合いを、自己開示をしてくれなかったから、もういいや、と諦めがついた。

 

 

 

他人を信用できない気持ちはわかるし、わたしもどちらかといえばそっち側に年々近づいているけし、弱い人間は悪いことではないけれど、でもいつまでも他人と向き合わない人間といる必要もないし、時間は有限だし、わたしはわたしが一番かわいいし、あなたはあなたが一番かわいいし。

セックス以外で他人と繋がれない男は、加齢とともにどんどん空虚さが目立つんだなと、この歳になってわかる。

会うたびに輝きを失っている元ヤリチンたち。

学生じゃなくなってからセフレがいくらいても、なんの得にもならないんだろうな。TENGAやirohaよりも快楽はでかいかもしれないけど。

 

 

今の恋人とセックスができなくなったら、たぶんめちゃくちゃがっかりするけれど、別れようかなとは思わないと思う。たぶん。えーー、セックスできなくても一緒にいてえ~。

でも生涯できない、ってなったらたぶんつらいだろうな。

その場合は、いちこみたいにわたしもセックスセラピストとか女性用風俗を利用する気がする。恋人がどこまでできないか、にもよるけれど。

 

 

わたしが求めていたのはこれなのかなとわかる、性欲を伴わない愛情表現のうれしさ。それとともに、好きな男から性的対象として見られる喜びも明確にある。

たかがセックス、されどセックスだよね~!!!関係性も変わってしまうし。

1122に出てくる、いちこの同級生の台詞。とてもよくわかる。

やってよかったセックスもあるし、やらなくてよかったセックスもある。もったいないことをしたな、っていう。後者は2人だけだけど。

 

 

好きなのにセックスレス、って、地獄だろうな~。

そんで、好きなのにだきたくない、も地獄だよな~。

性欲で人間関係が壊れることもある、だけじゃなく、性欲がないせいで人間関係が壊れることもあるという。そっちのほうが再構築というか、落とし所が厳しい気がするなもはや。

当分疎遠になっていた惨め、という感情にまた出会う日がくると思うとぞっとしちゃうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クレープ一緒に食べるだけでも楽しそう、と思う感覚で人を好きになるの、わかんねーーー。

この人を手に入れたいこの人の思考を知りたいこの輝きを一番近くで見つめていたい触れたい知りたい、この人になら自分を傷つけられてもいい、他の人間にはビタ一文触れられたくないけれどわかられたくもないけれど、あなたになら傷つけられてもいい、それでもそばにいたい、という感覚のわたしとは全然違うらしい。

 

 

加藤はいねは今はなにをしてるんだろうか。今も生きてたら42歳? まだ処女で、結婚しちゃった佐藤が好きで、そんでその肝心の佐藤はどんどん禿げていったりしてるんだろうか。

相変わらず看護師やってるんだろうか。今も自分の誕生日が年々愛おしくてるんるんしてたりするんだろうか。センイルケーキとかもしかしてオーダーしちゃったりしてる?

あたしは加藤はいねの、佐藤への気持ちが好きだった。

顔も知らなければ素性も知らない佐藤。のぺっとした顔に、一本アルデンテな芯の通った男らしい、佐藤。

いつだって加藤に助けにいきたいと思ってもらえていて、3回はゆうに加藤をふっている佐藤。

そんなふうに他人に好かれてんの、知ってんだろうか。あたしが教えてあげたい、はいねはね、って。知らないけど加藤はいねのことも。

 

 

 

 

かわいい人間というのはいい。

かわいい人間というのは、当たり前に喜怒哀楽を見せてくれて無防備にへにゃへにゃ笑う人間、他人への信頼度が長年の積み重ねにより自然と高い人間、思ってることを全部口にする人間。自分発信の好意やどうでもいい話が必ず他者に受けいれられると思っている人間。

他人を疑うことなく真っ直ぐに開示してくる人間。

 

 

こんなに無防備に自分を曝け出してきて、この子傷ついたことがないんだろうか。目を見開いてしまいそうになる。

話し合っても無駄、なんてことを1ミリたりとて思わない思考回路なのは、他者に軽んじられず向き合って話を聞いてもらえる経験を物心つく前から幾度なく繰り返してきたからで、

なんかもうその裏付けが取れてしまった今となっては結局人の人生の難易度は親によって本当に大きく左右されすぎてしまう、不平等すぎる。

 

 

結局のところ、足りてないもの同士がどうにかしようなんて無理があるのだ。今さらだがどうしようもないほどにわかる。

足りないもの同士が集まっても、コウちゃんの言うとおり吹き溜まりのようになってしまうだけで、もしくはものすごく長い時間をかけて足りない部分をかき集めていった終着点として一緒にいられるようになるかもってだけで、

性愛の絡んでくる人間関係なんてノブレスオブリージュが大前提にある。

自分のことでいっぱいいっぱいの人間が他者を変えられると救えると思うこと自体がはちゃめちゃにおかしいのだ。支え合うという行為の難易度すら桁違いなのに。

4万とかのコニャックをわりかしハイペースで飲みながら、確かにうまい、と思いながら、当たり前に眠くなってソファで涎垂らす勢いで寝てたら、ルイ13世バカラの入れもん代やしそんなに旨くないやろけど一回ぐらい飲んでみたくて今度買おうか思ってるんよな、とかいう声が聞こえてきて、あれホストだったら100〜200万だっけ、たけーひとりの男のために一晩でうん百万使って飲む酒ってどんな味なんだろうか、自分の肉体を切り売りしながら嘘をついてくれる男に使う金の行く末、もうちょいいい博打がありそうなもんだけど。

わかりやすく簡単に承認欲求を満たせる場所。金をかけた分だけ他人に喜んでもらえて役に立てて存在価値を感じられる場所。

担当はとてもかわいいけれど、プロとしてとてもいいホストだと思うけれど、しかしこの目の前の男に認められたとてそれがどれだけの快感になるのだろう。

姉に、たとえば団地のふっつーの部屋でその子と飲むのでも金払うの?と言われたときに、それはやだ、と即答したことから、わたしが彼自身に魅力を感じているわけではないということがわかる。あくまでも舞台装置ありき、No. 1の肩書きありき。煌びやかな電飾と馬鹿でかいシャンパンコールありきで一個体が輝く場所。暗がりのなかで見るから君の笑顔もメイクもかわいい。

素見せないもん、とか言ってたけどそうだよな、素見せてもそこにあるのは普通の24歳の面白みも特段あるわけでもない男でしかなく、欲しい言葉を的確に打ち出せるかわいい男とはまたべつなので。

でもみんなそのつまんない素を見るために触れるために大枚叩いてんだからすごい、つまんないものを見るために、自分と同じステージにいると実感するための大枚なのかなんなのか。

たいしたことないと知るために積み重なる紙切れたちへの哀愁。

 

 

わたしの承認欲求なんて日頃それはそれはおとなしく、もう学生の頃のように他者と自分をむやみやたらと比べて焦燥感で苦しくなったりはしない。

わたしの承認欲求がプラスアルファで現れて満たされるのは、面白い好きだ、この人のつくるものや生き方が思考回路が好きだと思える人間に対等に面白い好きだと思ってもらえるときだけで、なので金では買えない、というかだいたいの承認欲求なんて金で買えないので困るよな。困りはしないけど、困ってそうな人を見ると、うーん、となる。

 

 

あほだ、と思っていた同期に、言葉を額面通りに受け取りすぎ、押し付けすぎ、と言われて、

えー、となったけど、そうなんだろうな。

だって言葉以外にどこに真意があるかなんてわかんなくない?強がってるの見破るのとかどうすりゃいいの?

三者目線でいつもわりと的確なアドバイスくれるけど自分のことになると全然やな、と言われて、悔しいけどその通りだと思う。

言葉なんて単なるラベルでしかないのに、愚か。

でもわたしは信じたかった、馬鹿なので。脳みそに惚れてもらってるんだ、とか。大事だから他の人間でも代替できるような欲求で抱かないとか、そっちのが愛情として上じゃんと本気で思ってたから、

それも押しつけと言われたらぐうの音も出ないし、判断が早急すぎ、と言われたけれど。エーーーーーーだってさーーーそんなんさーー!!

悲しいよ、袖にされていないとしても、袖にされていると思ってしまうのは疲れる。会えない時間の方が多くてその間マイナスの感情になってしまう恋人なんてなんの価値があるのか。彼の言う向き合えばよかったとおもったから、とはなんなのか。

人間として好きになってもらいたいじゃんだって。難易度高いかもだけど。ということを担当も数多の女たちに欲望をぶつけられながら思ってんだろーなーとしみじみする帰り道。

母のような不安定な女の面倒をよくみてくれるよなと思っていた人は、結局かつての恋人だった。結局恋愛感情がつえーんだ、理解ある彼くんってことか、とがっかりした。

姉の友人も、あわよくば寝たいつきあいたいみたいな旨のこと言ってたしな、そんなもんなのかな。

萎えてきた、わたしも大概思春期だな。

映画観たいなんかめちゃくちゃなやつ、マッドマックスみたいなやつ、人間として見てもらえるやつ。

 

 

 

 

 

 

世の中には自分をすり減らしてまで他人を救いたがる人というのがいるけれど、きもい。シンプルに。

 

 

結局それは相手が誰であっても「他人のためにこんだけしんどい思いもできちゃう自分」が好きなだけであって、本当に相手のことを大切に思ってるということとイコールではないし、

得られるものがなかったとかいっているけれど、違う、あなたは現在進行形でめちゃくちゃになっている彼女に貢献する自分へのいじらしさを感じているはずだし、こんなふうになってもまだ彼女をかわいいと思う自分のどうしようもない感性も愛している。

得られたものがないだなんて嘘だ、彼女の破天荒さにつきあうことで、あなたは地味な妻がいるだけだった自分の人生をよりドラマティックにしようとしているし、それでも彼女ではなく妻を選んだ。

そして彼女のヒステリーや不安定さの「面倒」を見ながら、四六時中面倒を見ないといけない家族より少しは楽な心持ちで心配したり、転院の手伝いをしたりしている。

 

 

それは結局偽善という名の助けにはなるけれど、得られるものがない、なんて言ってのけるその厚顔無恥さ。自分の真意にも自分で気づいていないのか知らないけれど、そんな建前に包んだところでバレバレだ、プルダック麺春巻きかよってぐらい透け透けのおまえの欲望。ラッパーみたいにさせないでほしい。

わたしはあなたより40歳近く年下だけれど、自分の欲望をそんな歯触りのいいものにくるんで昇華したりなんてしない。

自分が他者に対して有能であると感じられる快感、自分の存在価値があるということ、お人好しであることを選択し続けているその見返り、そういう可視化したらぬるついているようなもんを「ご縁」なんて筆文字がぴったりな文字で収めるのはやめてほしい。

彼女がより必要なのはあなたのほうだ。彼女を媒介に自分の人生は山あり谷ありだと思いたいくせに、自分の人生に引き込んでしまったから、なんておまえはどこぞの村上春樹だよ、村上春樹はそんなチープな物言いなんてしないだろうけど。

引き込んだなんてちゃんちゃらおかしい、ふたつの人生が存在しているだけで、それ以上でも以下でもない、セカイ系エンドじゃあるまいし、生活は続いていくんだし、

 

 

しかしぼろくそに言えども、結論負担の分散という意味では助かってはいるので、いい。

永遠に彼女に中指立てているわたしではできないことをやってくれるからいい。

だがそれはそれとして、自分の欲望をゆるふわ化してる奴はきらいだし、そして結局どこまでいっても恋愛加点がつよい世界観もきらい。

人間愛を信じたい!よ~!!